その場の空気に浸る大切さ。

 

なるべくその場の空気に浸ることを大切にしている。

 

もし子供の頃に戻りたいと思う時があれば、子供がたくさんいる場所に行けばいい。

その場では、大人を演じるのではなく、一旦子供に戻ってみる。

そして、子供の視点に立って、物事を考えてみる。

 

そうすると大人の視点とは、全く異なることに気づく。

 

 

僕は、いつもきまってこのような質問をする。

 

 

「今、みんなの周りで流行っていることって何?」と。

 

 

すると、僕が子供のときとは、流行っているものや趣味なども違うことに気づく。

 

僕の青春期も説明しておくと、小学生の頃は、ポケモンやたまごっちが流行っていて、周りでキャラクターを交換したり、対戦したりする同級生が多かった。

 

また、その当時、ムシキングにハマっていて、ヤフオクヘラクレスオオカブトのカードが7万近くで出品されていて、親に懇願したのを覚えている。

 

こんな感じで趣味の一部は、ゲームで埋め尽くされていた。

 

 

一方で、現代の若者の多くは、何をしているのかというと、

スマホを携帯し、ユーチューブやゲームアプリで遊んでいるということだから驚きだ。

 

 

僕が小さかった頃は、スマホなんて携帯するわけもなくその当時、発売もされていなかった。

初めて携帯を持ったのも高校に入学してからだから、現代の若者はどれだけ早い段階で

テクノロジーに触れることができているのだろうか。羨ましい限りだ。

 

 

 

この先も技術革新は進む。

 

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現代の小学生が20歳くらいになるくらいには、世界も大きく変わっていることだろう。

僕が今の小学生がスマホを携帯していて、使いこなしていることを予期していなかったように

現在の小学生たちも予想もつかないことが未来では、起こる。

 

これは、間違いない事実だ。

 

これだけは、証明できる。

 

 

 

 

10年前にほぼ全ての人がスマホを持ち歩いている状況を想像できたであろうか。

そして、SNSが生まれ、世界中の人と繋がれる未来を誰が予期できたであろうか。

 

きっと誰もいなかったはずだ。

 

10年前にSNSができるって言っただけで周りの人には笑われたはずだ。

 

人間は、そんなものさ。

 

想像もつかないようなことを言えば笑われる。

 

あのスティーブ・ジョブズだって、周りにはきっと笑われていたはずだ。

 

しかし、どんなに笑われようと自分のアイデアを実現させる努力を止めることはなかった。

 

そして、今では、彼のアイデアが世の中の常識となっている。

 

何かを生み出す人は、常に笑われていなければならない。

そうでなければ、それが世界の常識を変えるアイデアではないと思った方がいい。

 

人は、実現できそうなアイデアだと受け入れるが、

実現できそうにないアイデアだと、笑われ、批判される。

 

 

世の常だ。

 

 

しかし、批判されることが多いほど、仲間も集まりやすいのも確かだ。

 

 

 

リスクを背負えば背負うほど、共感する人が集まり、次第に大きなパワーを持つようになる。

 

それが、人を変える力となり、世界を変える力となる。

 

 

一人では、力が到底及ばない相手でも、

人が集まれば、この世界を変えるきっかけともなる。

 

 

その力が集まり、人を変えていくことができる空間。

 

その場を作ることが当分の目標だ。

 

 

 

『その場の空気に浸れば、人は変わる』と。

 

 

 

それを証明していきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考えるより、行動を。

 

この世界は、助け合うことでしか変えられない。

 

たとえ、お金を寄付したとしても、

お金だけでは意味を持たない。

 

お金を何かと交換して、初めて価値を持つ。

 

ただお金を持っていただけでは、

何の解決にもならないのだ。

 

よく被災地に寄付をするということがあるが、

それだけでは価値を見出せない。

 

なぜなら、被災地では本当にそれを必要としているのか甚だ疑問に思うからだ。

 

 

 

私は、中学三年生の卒業式後に東日本大地震を経験し、ライフラインが切断された状況を過ごしてきた。ガスや電気もつかなければ、水もない。

 

そんな中でお金は、無価値な存在だと感じた。

 

 

震災当時、家からスーパーにかけて自転車を漕いで行っても、供給されている商品が少ないため購入できる数が制限されていた。買える数が限られているということは、使うお金も限られてくる。どんなにお金を払ったとしても、手に入る量は変わらないのだ。

 

 

その状況下では、お金に価値を見出すことはできなかった。

 

そこら辺に落ちている紙と同じとさえ思ってしまっている私がいた。

 

 

 

では、東日本大地震では、何が必要だったのか?

 

 

震災当時、食料が限られ、なかなか食べることができない日々が続いた。

 

スーパーでは、できるだけ腹持ちがいいものを買い、それをできるだけ大事に少しずつ食べることが心のゆとりだった。

 

数日してからやっと救援物資が届き、

ようやく腹を満たすことができた。

 

 

それと同時にボランティアの方々に被災地に来ていただいた。

 

 

しかし、ボランティアを受け入れる団体が少なく、被災地ではボランティアの人々が余っている状況が続いた。

 

 

こうした状況を踏まえ、

もしこれから災害が起こったとしたら、

人は、どのように動けばいいのかを考えた。

 

 

結果的に、「自分で考えて、行動すること」が一番大切なのだと感じた。

 

 

受け入れる団体が少なく、

仕事も限られているならば、

自分がどのように被災地に貢献できるかを考え、行動しなくてはならない。

 

 

上からの指示ばかりを待っているのならば、

時間を浪費するだけでなく、

救える命も救えない。

 

考える時間があるならば、

その時間で今ある命を救いたい。

 

そう思った。

 

 

人が出来ること。

 

それは、単純なことでいい。

 

いつもしている仕事の延長線でいい。

 

 

自分の得意なことで被災地に役に立てることはないのかを考え、行動に移す。

 

 

それぞれの得意な分野で貢献できれば、

その価値は何倍にもなる。

 

 

被災地では、本当は、人余りなんかない。

 

自分から動き出せばいくらでも貢献することができたのだ。

 

ただ与えられたものをこなすだけではなく、

その延長線上を考えること。

 

自分の得意なことで、

人の役に立つことほど幸せなことはないだろう。

 

 

考えるより、まず行動を。

 

 

 

それが被災地から伝えたいこと。

 

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感情が生まれる瞬間。

 

「感動した。」

 

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そう思うときは、

いつも感情が動かされている。

 

 

その瞬間は、決まって涙が頬を伝り、

地面にポツリと流れ落ちる。

 

 

涙腺が弱くなるとおじさんになった証拠だといわれるが、その通りかもしれない。

 

こうして一歳、また一歳と年をとっていく。

 

一年経つごとに涙腺が徐々に弱くなっていくのだろうか。そうだとしたら、僕の目から、ナイアガラの滝が流れるほどになってしまう。それは、ちょっときついなと思いつつ、ここに言葉を綴っている。

 

 

人は、どんなことに感動するのだろうか?

 

 

よく言われるのが、映画。

僕は、子供が成長したとき。

最近だと、ワールドカップのベルギー戦など、

多くのことが挙げられる。

 

これらに共通しているのが、

人が何かを頑張っている瞬間だと言える。

 

やったことがないことに挑戦する人を見て、

感情が動かされる。

 

確かに失敗するか、

成功するかなんて分からない。

 

だけど、そのどっちに転ぶかわからない状況に

気持ちを動かされている。

 

結果はどうあれ、

結果を目指す過程にこそ、価値があるのだ。

 

なぜなら、そこにストーリーが込められているからだ。

 

 

彼らが人生を生きる中で没頭してきたことを

舞台の上で表現する。

 

 

見る側は、その過去の部分も含めて、

評価している。

 

 

彼らが本気で挑戦していると、

内面からにじみ出るものが味となる。

 

その味を感じとり、

私たちは、感動する。

 

美味しいものを食べたときの感情と

どこか似ているように思える。

 

 

作った人のストーリーを感じ取り、

感情を突き動かされ、

好きになっていく。

 

 

感情とは、全てのものに通ずるものが

あるのかもしれない。

 

 

そう考えていると、

時計の針が3時15分を差し、

外を見れば雲の切れ間から一筋の光が徐々に明かりを照らし始めている。

 

床に敷かれた布団入り、

もう目を瞑るのかと思いながら、

1日が24時間しかないことを悔やむ朝方。

 

夜が明ければ、

新たな光に包まれ、

また1日が始まっていく。

 

こうやって年をとっていくのだなと思い、

再び目から一筋の涙がこぼれ落ちていく。

 

また涙腺が弱くなってしまったと思い、

敷かれた布団に包まれて、

明日を迎える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今を生きる本質。

 

今を生きる。

 

最近、その大切さが身に染みてよく分かるようになってきました。

 

この言葉は、

自分に正直に生きることと同義ではないかと

思います。

 

正直に生きるとは、

今やりたいことをする。

 

 

これは、簡単なことのように思えますが、

多くの人ができていないように思えます。

 

 

なぜなら、

世間体が気になるからとか、

やりたいことをやって生きれるのかなどと

やる前にやれない理由を探し、

自分の可能性に蓋をしてしまっているからです。

 

まるで実がなるはずの木から

自分で芽を摘み取ってしまうようなものです。

 

 

彼らは、自分に意識はなく、

他人に常に意識が置かれているため、

自分自身が本当にやりたいことをできないのです。

 

 

自分の人生を歩むのではなく、

他人の人生を生きてしまっている。

 

 

他人に意識があるため、

他人が望む人生しか歩めなくなってしまいます。

 

そして、定年までやりたくないことをした後に

本当にしたいことってなんだっけと自問自答するようになります。

 

それでもやりたいことが最後まで分からずに

やりたいことをせずに人生を終えていく。

 

こういう人が溢れているのが日本です。

 

お金や他人からの目を気にして、

世間という波に流され、

本当にやりたいことをやれない日本人。

 

つまりは、思考が停止状態なのです。

 

常識がこうだからとか決めつけて、

ただ誰かが決めたルートに従うだけの人生。

 

確かにそうした方が楽です。

 

なぜなら、自分の頭で考えていないから。

 

誰もが歩むであろう道を通っていれば、

誰かについていけばいいだけの話。

 

簡単なことです。

 

しかし、何のリスクも取らなければ、

リターンは、見込めません。

 

つまりは、自分が描いた通りの人生など

思考停止状態では歩めるわけがないのです。

 

この時点で意味が分かる人と分からない人では、すでに二分化されています。

 

自分の頭で考えることができる人と

思考を放棄してしまっている人。

 

 

この両者の思考の違いが、人生の中でかなり大きな差を生み出すことになります。

 

 

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ここで、スティーブ・ジョブズのある有名な言葉が浮かびました。

 


「あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。」

 

 

時間は、有限だから、他人の人生を生きるなとここでは述べています。

 

つまり、「自分の人生を生きろ」ということです。

 

 

ただ誰かが歩んだ道のりを進んだって、

つまらない人生を歩むだけです。

 

どうせなら、誰も開拓していない道に飛び込み、面白いことをしていった方が面白いのではないかと思うのです。

 

だから、決めました。

 

 

「面白いことに挑戦している人としか一緒にいないと。」

 

なぜなら、

そっちの方がワクワクするし、

人生がより豊かなものになると思うから。

 

ただの直感です。

 

 

だからこそ、より高みを目指して

また一歩、また一歩と踏み出す必要があるのです。

 

確かにこの先どんなことがあるか分かりません。僕は、預言者でもなければ、神でもありません。1秒先の未来でさえ知ることでさえできません。

 

でも、予測できない未来だからこそ、

未来を作ることができるのではないかと

考えるのです。

 

目の前に真っ白なキャンバスがあるとして、

何も描かずに終わるか、それとも筆を持ち、

あらゆる色で白を塗りつぶしていくのか。

 

僕は、どんなに不器用でもいいから、

全力で絵を描いていく。

 

そんな人生を歩んでいきたいと思います。

 

 

最後にこの言葉を送りたいと思います。

 

 

「やらない奴は、やらないし、

やる奴は、やる。

 

死ぬときに後悔しない生き方は、

果たしてどちらだろうか?

 

その人生は、あなた自身が選ぶものである。

 

 

自由でいい。

 

 

あなたの気持ちに従って下さい。」

 

 

 

 

好きか嫌いかを決断する勇気。

 

「好き。」

 

「嫌い。」

 

 

人間には、この二つの感情が備わっている。

 

 

僕だって、好きだって思う人もいるし、

嫌いだと思う人だっている。

 

その好きだって思われている人もどこかで嫌いだって思われているかも知れないし、嫌いだって思われている人も誰かが好きだって思ってくれるかも知れない。

 

そんなものだ。

 

誰しもが全ての人に愛されているというのなら、少し怖い気もする。

 

どこかで誰かに嫌われているから、

僕が僕でいられるのかもしれない。

 

 

 

 

他人に対する評価なんてさまざまなんだから、

本音で話してみろよと思ってしまう。

 

本心から会話していないと

相手の感情が全く伝わってこない。

 

肌感でわかる。

 

うわべだけを繕ったとしても、

化粧と同じように表面だけを覆っていることに過ぎない。

 

そうやって自分ではない何者かを演じて、

いつしか自分が自分でないことに気づくのであろう。

 

そうして自分を見失っていく。

 

 

哀れだ。

 

 

 

なぜ自分ではない何者かを演じて、

本当の自分を殺すのだろうか。

 

弱い自分を隠して、

見栄を張り、強い自分を見せようと偽りの姿を

見せようとする。

 

なぜそうすることしかできないのだろうか。

 

それは、自分に自信がないからなのだろう。

 

だから、きっと本当の自分を知ってしまうと相手が私のことを愛してくれないだろうと思い込んでしまう。

 

 

でも、それは違う。

 

 

この世界には、

その弱ささえも受け入れてくれる人がいるからだ。

 

 

確かに弱さを見せると嫌がる人もいるかも知れないが、弱さを見せるくらい信用されていると思う人だっている。

 

 

だから、心配しなくていい。

 

 

前述したように、

人の好みは、さまざまだ。

 

焼肉が好きだっていう人もいれば、

ラーメンが嫌いだって言う人だっている。

 

皆が好きだと思っているものでも

このように意見が分かれてしまう。

 

だから、無理せずに全ての人に好かれようとしなくてもいいのではないかというのが私の結論だ。

 

好きになってくれる人がいれば、

嫌いになる人だっている。

 

 

どうせだったら、

好きになってくれる人とだけ一緒にいればいい。

 

答えはいつだって、シンプルさ。

 

 

好きか嫌いか。

 

 

自分の意思で判断してしまえばいい。

 

 

だって、それが人生。

 

「好きか嫌いか。」

 

それがこの人生を選ぶ決め手となる。

 

あなたが今やっていることが好きですか、

それとも嫌いですか。

 

 

今、あなたの目の前には、二つの道が広がっています。

 

「好きなことをするのか、

嫌いなことをするのか。」

 

 

どちらの道を選ぶかは、あなたが決めることです。

 

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僕が先行投資を心がける理由

 

皆さんは、先行投資していますか?

 

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先行投資を知らない皆様のために、

以下をご覧ください。

 

「企業が経営を行っていく上での投資で、行った場合の現在の直接的な価値はマイナスであるものの、このことから新たな展開が開け結果としてはプラスとしての効果が期待できるようなもののことを言う。」

 

簡単に言えば、初めは、マイナスだが、

長期的に見れば、プラスになり得るということです。

 

これは、資産だけではなく、

その他のことにも言うことができます。

 

 

それは、「健康」です。

 

 

 

50-60代になってくるとビール腹になり、

思うように体を動かすことが出来ないという人もいるのではないでしょうか?

 

 

こういう人たちは、先行投資をしてこなかった例として挙げられます。

 

若い頃に仕事で溜まったストレスを発散するために暴飲暴食を繰り返し、体の心配などすることなく好き勝手に過ごしてきた結果、年を重ねるごとに体が蝕まれていく。

 

若い頃は、代謝がいいので、それほど気にしないかもしれませんが、高齢化すると代謝は落ち、脂肪が体に蓄積されていきます。

 

そうなると血管に脂肪が溜まり、

心筋梗塞脳卒中などで死に至る可能性も高くなります。

 

それは、全てあなたの若い頃の不摂生な生活を繰り返してきた負債だと考えていいでしょう。

 

では、どのようにすれば、

負債を背負うことなく生きられるか、

一度考えてみてください。

 

 

 

考えられましたか?

 

 

 

 

その答えは、運動を習慣化することです。

 

 

ここでダイエット食品という文字が頭をよぎった方は、将来的に負債を背負うことになることと思います。

 

そうやって努力もしないで健康になれると思ったら、大間違いです。いつも他人に頼ってばかりだから、そんな考えが浮かぶと思うので自力で痩せることを頭に入れることから始めてはいかがでしょうか。

 

そんなことは、さておき本題に戻りましょう。

 

 

なぜ若い頃に運動を習慣化することが大事なのか。

 

 

それは、体の基礎となる部分である骨や筋肉が若い頃に構成されるからです。

 

 

骨と筋肉は、体全体を支えている植物でいう茎のような存在であり、これがなければ真っ直ぐ立つことでさえできません。

 

 

そうならないためにも、

若い頃から運動を習慣化することをお勧めします。

 

なぜここまで強くオススメするのか。

 

それは、高齢になると、

体が思うように動かなくなるから。

 

これにつきます。

 

最近、ジムのプールに行っているのですが、

案外、高齢者の方が大半を占めています。

 

その中に僕が一人ぽつんといるという状況です。

 

そして、彼らは、プールの中を歩いたり、

クロールで泳いだりしています。

 

それも気持ちよさそうに。

 

中には、25mの往復を何時間も繰り返している人がいて、知らない世界が目の前に現れたような感覚に襲われます。

 

 

すごいおっちゃんもいるんだなと。

 

 

きっと彼らは、若い頃から先行投資=運動を続けてきたからこそ、今でも丈夫な体を維持できているのだと感じます。

 

80歳以上でも、

若い人より元気な人は、山ほどいます。

 

ジムに行っていなければ、

この事実には気づきませんでした。

 

なぜなら、街には、背や腰が曲がって、

今にも倒れそうな人がいる世界を見てきたから。あのときの僕は、その世界しか知ることができなかった。

 

でも、こうして高齢になった今でも、

元気に自由に体を動かせる人がいる。

 

 

そう知ることができたから、

もっともっと努力を継続させて、

たとえおじいちゃんなったとしても、

あのとき見たように健康でありたいと思うのです。

 

ただそれだけの願いです。