考えるより、行動を。
この世界は、助け合うことでしか変えられない。
たとえ、お金を寄付したとしても、
お金だけでは意味を持たない。
お金を何かと交換して、初めて価値を持つ。
ただお金を持っていただけでは、
何の解決にもならないのだ。
よく被災地に寄付をするということがあるが、
それだけでは価値を見出せない。
なぜなら、被災地では本当にそれを必要としているのか甚だ疑問に思うからだ。
私は、中学三年生の卒業式後に東日本大地震を経験し、ライフラインが切断された状況を過ごしてきた。ガスや電気もつかなければ、水もない。
そんな中でお金は、無価値な存在だと感じた。
震災当時、家からスーパーにかけて自転車を漕いで行っても、供給されている商品が少ないため購入できる数が制限されていた。買える数が限られているということは、使うお金も限られてくる。どんなにお金を払ったとしても、手に入る量は変わらないのだ。
その状況下では、お金に価値を見出すことはできなかった。
そこら辺に落ちている紙と同じとさえ思ってしまっている私がいた。
では、東日本大地震では、何が必要だったのか?
震災当時、食料が限られ、なかなか食べることができない日々が続いた。
スーパーでは、できるだけ腹持ちがいいものを買い、それをできるだけ大事に少しずつ食べることが心のゆとりだった。
数日してからやっと救援物資が届き、
ようやく腹を満たすことができた。
それと同時にボランティアの方々に被災地に来ていただいた。
しかし、ボランティアを受け入れる団体が少なく、被災地ではボランティアの人々が余っている状況が続いた。
こうした状況を踏まえ、
もしこれから災害が起こったとしたら、
人は、どのように動けばいいのかを考えた。
結果的に、「自分で考えて、行動すること」が一番大切なのだと感じた。
受け入れる団体が少なく、
仕事も限られているならば、
自分がどのように被災地に貢献できるかを考え、行動しなくてはならない。
上からの指示ばかりを待っているのならば、
時間を浪費するだけでなく、
救える命も救えない。
考える時間があるならば、
その時間で今ある命を救いたい。
そう思った。
人が出来ること。
それは、単純なことでいい。
いつもしている仕事の延長線でいい。
自分の得意なことで被災地に役に立てることはないのかを考え、行動に移す。
それぞれの得意な分野で貢献できれば、
その価値は何倍にもなる。
被災地では、本当は、人余りなんかない。
自分から動き出せばいくらでも貢献することができたのだ。
ただ与えられたものをこなすだけではなく、
その延長線上を考えること。
自分の得意なことで、
人の役に立つことほど幸せなことはないだろう。
考えるより、まず行動を。
それが被災地から伝えたいこと。