夢の中だけで出会う人。

 

最近、夢を見ることがある。

 

夢の中には、現実世界で出会ったことがある人が現実世界とは違うそれぞれの役割を持って登場する。

 

あれどこかで見たことがあるぞ。

あっ、小学校の同級生か。

でも、こんな人だったかな、という具合だ。

 

ちょっとしたズレがあるから、

映画の別編を見ているかのようで面白い。

 

僕が生きている世界が現実で、

夢の中が自分が作り出したフィクションのように。

 

どうやら夢の中で無意識に壮大なストーリーを描き続けているらしい。

 

 

そんな夢を見ているうちに、

あることを考えるようになった。

 

夢とは、実際に自分が経験したことが元となり、構成されているということだ。

 

夢に出てくるのは、昔の知り合いが多いということとストーリーが自分が経験したことを元に構成されているということが理由として挙げられる。

 

 

たまに現実では会ったことがない人が夢に現れるが、実際には認識しておらず、夢から覚めるとすぐに記憶から消されている確率が高い。

 

 

しかし、たまに夢の中で知らない人とともに過ごしていることがある。ただ視覚に入っているだけでなく、実際に話したり、物語を一緒に進めているのだ。

 

そんな物語も束の間、

夢から覚めると誰が誰だか分からなくなっている。

 

確かに夢の中では、名前を呼んでいるはずなのに夢から覚めるとどうしてもその人の名前や顔が思い出せないのだ。

 

そう思っていると数日後にその人が違う夢に出てきて、また違う何かをしている。

 

そんな日が続くこともある。

 

 

一体、あの人は、誰なのだろうか。

 

 

夢の中だけで出会う存在なのか、

それとも未来で出会うべき存在なのか、

様々な諸説はあるが、一度は現実世界でも

会ってみたいものだ。

 

 

 

 

もう一人の自分に。

 

 

 

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それでも世界は、回っていく。

 

 

誰かがこの世から消えてしまっても、

この世界は、いつもと変わらずに回っている。

 

いつもと同じように太陽が昇り、沈み、

月は満ち、また同じように循環が始まる。

 

 

生命活動と同じだ。

 

 

お母さんのお腹の中で育ち、産声を上げ、

生まれ、年月が経てば、老い、骨となり、

地に帰っていく。

 

生きている間は、心臓から血液が送り出され、

体全体に血が行き渡り、呼吸をし、

そして、血液が回っていく。

 

まさに循環の中で僕たちは、生きている。

 

だから、この世の誰かが亡くなったとしても、

それが自然だと受け入れ、

また新たな命を授かる。

 

生があれば、死もある。

 

当然のことだ。

 

こうやって、僕たちの世界は、回っている。

 

この世界には、

どうやら永遠なんてないらしい。

 

賞味期限のように

誰もが期限を決められて生きている。

 

ただ僕らがその最後を知らないだけのことだ。

 

もし僕らが期限を知っていたら、

何をするだろうか。

 

 

 

好きな人に告白する。

 

行ったことがない場所に行ってみる。

 

食べたことがない料理を食べてみる。

 

 

 

それぞれが

自分のやりたいことをすることだろう。

 

 

やりたいことって何?と質問すると

多くの人が人生でやり残したことをすると答える。

 

 

で、やり残したことって何?って質問すると、

案外、今でもやれそうなことばかりを答える。

 

 

 

今でもやることができるはずなのに、

なぜみんなはやらないのだろうか。

 

やりたいのにやらない。

 

 

 

ショートケーキの苺は、最後に取っておく。

 

 

好きなものは、最後に残しておく、そんな感覚なのだろうか。

 

 

僕は、こう思う。

 

 

「やりたいなら今、やればいい。」

 

全ての人にとって、今が一番若いわけだし、

遅すぎることはない。

 

むしろ今やらないと後は老いるだけだ。

 

何かしらの言い訳を考えて時間を浪費するのは、勿体なすぎる。

 

時間は、全ての人に平等に与えられているものだ。

 

その時間の中で何をするのか。

 

 

 

あっ、またこの世からまた一つ何かが消えた。

 

 

 

 

でも、あなたは、気づかない。

 

 

 

あなたが気づかないように

あなたが亡くなったとしても誰も気づいては、

くれないよ。

 

 

それでも世界は、回っていく。

 

 

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見えない敵と今日も戦っている。

 

 

これは、過去に書いた文章である。

 

 

 

私は、映画を見終わった後にそのワクワク感を失ってしまわないように、

パソコンに向かって文字を書き殴る癖がある。

 

今日、紹介するのは、その一部だ。

 

『LA LA LAND』という映画を紹介する。

 

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当時、私は、大学生で、映画館でバイトをする日々を送っていた。

 

 

 

月曜日から日曜日までシフトを入れまくる。

しかも、時間は、フリーで提出していた。

 

 

たまに閑散日やスタッフがたくさんいてシフトに入ることができない日があった。

そんな日は、映画館スタッフの特典で無料で映画を見ることができた。

 

映画代が浮くわけだから、そんな日は、決まって

Lサイズの塩味のポップコーンとLサイズのオレンジジュースを半額で購入し、

それがいつしか定番化していた。

 

一人で映画を見て、一人でポップコーンとジュースを口にかきこむ。

なんという、至福だ。

 

美味い、美味すぎる。

しかも、映画が無料で見れて、半額で商品が買えるなんて。

 

 

「幸せ。」

 

 

この二文字が頭の中に溢れ出していた。

 

 

だが、この幸せな時間もそう長くは、続かなかった。

 

 

これが続いてくると飽きてきたのだ。

 

 

「誰かと見たい。」

 

 

そうだ、女の子を誘うことにしよう。

 

 

ということで、仲の良かった女性スタッフを誘い、映画を見ることが恒例になった。

 

しかし、スタッフ同士で映画を見るもんだから、

他の受付してくれるスタッフからしたら、付き合っているようにしか見えないだろう。

 

 

当然、噂にもなった。

 

 

 

 

だが、そのまま付き合うこともなかった。

 

 

 

 

そんな淡いストーリーが込められた作品が、

 

『LA LA LAND』だ。

 

 

映画を見終わった後に書いた僕のこの作品への視点だ。

この視点を共有することによって、あらゆる意見が生まれて欲しい。

 

意見なんて、違って当たり前だ。

 

違っていなかったら、個性も無に等しいだろう。

 

だが、僕たちは、人間だ。

生まれた場所も、育ってきた環境だって違う。

 

違って当たり前だ。

 

自分は、自分でしかないんだから。

 

 

 

運命とは、過去にしたことが今につながり、変化し続けていくものであるととらえる。

 


この映画は、今までオーディションに受かることがなかった主人公がオーディションに受かったことがきっかけとなり、周りの人生をも変えてしまうことを描いた作品である。

 

 

人生とは、何が幸福なのかということを考えさせられた。

 

仕事を成功させることが幸せなのか、それとも恋愛をすることが幸せなのか。

 

それらを充実させるために人は時間をかけて、人生を歩んでいく。

 

 

だが、時間は有限で、一つのことをしようとすると他のことを犠牲にしなければいけないことが多々ある。

 

 

現在、あなたが何に時間をかけているのかで自分の人生を形作っていくのだ。

 

 

もしあなたが今、恋愛に時間をかけているのであれば、仕事を疎かにしているのではないか?また、もしあなたが仕事に打ち込んでいるのであれば、恋人との時間を疎かにしているのではないか?

 

両方をうまくこなせればいいが、人間はそこまで器用ではない。

 

 

だからこそ、時間をかけて、温めていくのではないだろうか?

 


過ぎてしまった時間は、どうあがいてももう過去には戻れない。それは、非常に残酷あり、美しくもある。

 

 

 

過去は、変えられない。

 

だが、未来は、変えられる。

 

今が、未来を作っていくのだ。

 

 

 

この先、今までの常識では、予想もつかない未来が僕たちを待っている。

 

では、どうするか?

 

 

今を全力で生きることしかできないのはないか。

 

単純だ。

 

 

 

もしあなたが未来を恐れているのであれば、何を恐れているのか教えて欲しい。

 

おそらくあなたが恐れていることは、未来に起こることではないはずだ。

 

あなたは、未来人でもないだろ。

何を予言できるのか。

 

人は、まだしたことがないことを恐れる。

 

なぜか?

 

自分で挑戦したことがないからだ。

 

挑戦してしまえば、こんなものかと思うはずだ。

 

つまりは、見えない敵と戦っている状態なのだ。

 

 

例を挙げると、暗闇の中に一枚の白いシーツを張って、片方に小さな像を立て、後ろからライトで照らす。

 

すると、反対側から見れば、

その小さな像の黒い影は、実際よりも何倍も大きな像として現れる。

 

犬か猫ぐらいの小さな動物がシーツ越しでクマに見えるようなものだ。

 

しかし、実際にシーツをめくってしまえば、

そこには小さな動物が光に照らされているだけの現実がある。

 

その現実を知れば、「たいしたことないや」と思うのではないだろうか。

 

現実は、そんなものだ。

 

脳中で恐怖を作り出していることに過ぎないのである。

 

 

そんな未来のことを恐れている暇があるのならば、その時間を使って、あなたが恐れていることを紙に書きだして、どのようにすれば解決できるかを考え、今から、実行に移せばいい。

 

そうすれば、あなたが抱えている恐怖は、なんでもないことに気づくだろう。

 

全ては、自分の行動によって決まる。

 

迷ったら動き出せ。

 

それしか道はない。

 

 

 

最後まで読んで頂けて光栄です。

皆さんにとって素晴らしい人生になりますように。

 

 

 

 

 

出会いがあれば、別れがある。

 

 

 

僕は、人に出会って別れる瞬間に

必ずまたねと言う。

 


決して、じゃあねとは言わない。

 


たとえまた会えるという確証はないはずなのに、どこかでまた会えるようなそんな気がしているんだ。

 


だから、またねと言って、別れる。

 


どこかで、もう会えないと思うと、

これで最後かと別れる瞬間が辛くなる。

 


どこかでまた会えると信じているから、

辛い思いに駆られることなく、

また会える日を笑顔で待てる僕がいる。

 

 

またねという言葉は、

弱い僕を安心させる。

 


会えなくても、

最後までその一言を信じて、

また会える瞬間を待つ僕がいる。

 


たとえもう会えないとしても、

どこかで信じている僕がいるんだ。

 

 

 

朝から

 

ぼくは明日、昨日のきみとデートする」を見て、

 

そう感じたぼくがいた。

 

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温かい家族。

 

 

クレヨンしんちゃんのような家庭。

 

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喜怒哀楽に溢れ、

その過程の一つ一つがコミカルに描かれ、

笑える。

 


そんな家庭を築いている人がどれほどいるだろうか。

 


辛いときも家族のことを思い、

家族とともに笑顔で支え合い生きていく。

 


僕は、そんな家庭に生まれて本当に良かったなと思っている。

 


温かい家族。

 


その一言に尽きる。

 


その温かさを忘れてしまえば、

人が人でなくなる。

 


僕は、人間らしさを忘れないで生きたい。

 


人間らしさとは、

嘘偽りなく、自分が自分でいること。

 


そう解釈している。

 


笑いたいときには、笑い、

泣きたいときには、泣き、

悔しいときには、歯を食いしばり、

また明日から頑張ろうって思う。

 


自分に正直に生きること。

 


そうすれば、もっと楽に生きられる。

 

 

 

 

 

【ご報告】箕輪編集室に入会しました。

 

 

昨日、箕輪さんのツイートを見て、箕輪編集室の空きが20席できたということで「これは、入るしかない」と思い、朝8時からの募集に備えることにしました。

 

 

 

全国にシェアハウスを作るというだけでワクワクが止まらない!!

 

 

そして、全国の面白い人たちと出会いたいと思い、

このチャンスを逃すまいと意気込んでアイフォンを片手に握りしめて、朝まで待つことになりました。

 

 

これが昨日のツイートです。

 

 

すごい意気込み方ですね!!

 

 

その意気込みもあってか、

何とか朝の八時ちょうどにキャンプファイヤーを開き、入金して、パトロンになることができました!!前から入りたいと思っていたので、その念願が叶ってよかったです!!

 

 

箕輪編集室に入って何をするのかという点ですが、地域創生や映像を掛け合わせたことをやることと全国にシェアハウスを作るプロジェクトに携わって、やがては住んでみたいです!!

 

 

 

なぜ地域創生に携わっていきたいかという点についてですが、それは、震災後に東北の復興に携わってきたということが理由として挙げられます。

 

(現在も福島県下郷町福島県の香りを使って、リブランディングするというプロジェクトに学生のときから携わらせていただいております。)

 

 

メディアでは、復興したと報道されていますが、それも一部だけで、現在も復興できていない地域もまだ存在しています。

 

 

 

では、どのように復興させていくのか。

 

それは、まだ分かりません。

 

一人の力では、どうすることもできません。

 

ですが、地方を復興させたいや協力したいという人の力を借りることによって、

復興に向かっていくと考えています。

 

僕には、まだ力は、ありません。

 

しかし、若さエネルギーだけは、あります。

 

このエネルギーを原動力に東北を皆様と変えていきます!!

 

「死ぬこと以外は、かすり傷」という箕輪さんのモットーを掲げて、全力で立ち向かっていきますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします!!

 

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